画像加工アプリで「盛る」ことの歪んだ不自然さ:認められない自分、存在しない人間

SNOWとかの

画像加工アプリ。「SNOW」を筆頭に「ULIKE」「B612」みたいな感じの…

モノを加工してエフェクト付けて動かすみたいなアプリも最近は見るけど、そうじゃなくて、主に「顔面」を加工するタイプの。目を大きくしたり、顎を削ったりねw
明るさ調整くらいの加工は議題に含まない。

それで、加工した「画像」について、なんとなくモヤモヤしていたので、考えた。

まず、写真を撮る理由

「思い出」!

これはでかい。ワタシもスマホで、ゴハンや行った所のお写真、ばしばし撮るタイプ。でも、撮るだけで、それを全部TwitterにあげたりとかInstagramに載せるとかはしてない。
ただただ溜め込んでいく…w

そういった、被写体が「モノ」のことは置いておいて、特に人間を対象にした「自撮り」とか「友達と撮る」について考えてみたいんだ。

もちろんそういうのも「思い出」を切り取りたいから撮っているはず。
それは、「自分」がいて「友達」が写ってる、その瞬間の思い出。

で、それをちょっと可愛く加工したりして、LINEで送りあったり、インスタに上げたりするわけだね。

「誰」なのか

顔面を加工する…盛る、というのはつまり、「顔を変える」こと。

例えば、「Aさん」が自撮りして、目を5ミリ大きくする加工をしたとして、それは「Aさん」なんだろうか、という話で。
ワタシの感じでは、「目が5ミリ大きくなったAさん亜種」は「Aさん」とは別モノなんだ。だから「現実には存在しない」

同じように「AさんがBさんと一緒に撮った写真」を加工すると、Aさん亜種とBさん亜種が出来上がる。
こうなると更に気持ち悪さが増える。一体誰が誰と撮っているんだろう、みたいな。

存在しない人存在しない人と写真を撮っている…

「かわいいほうがいい」

それはそう。

わかる。

それは、でも、なんで?

ワタシは、とても…そう思ってしまう人たちの息苦しさというか…アイデンティティの危うさというか…そういうものを感じてしまう。

「自撮りを盛る」っていうのは、「盛る必要性がある」と思うから盛るんであって、必要なかったら盛らない。
つまり、加工するのは「自分の顔面を否定している」と同義になってしまう。

自分を否定しながら生きるのはツライとおもうんだ。
鏡を見たときに、「否定している自分」がいつも目の前にあるのは、しんどいはず。

メディアで、かわいいモデルさんとか、芸能人、YouTuberさんとかを見て、かわいくなりたい!っていうのはわかる。

でもなんか、最近…「なりたい」っていうか「ならないと」みたいな強迫観念のほうが大きいんじゃないかと感じる。

理想的な美のイデアだけを見ていて、自分らしさを見ていない。

たべっ子どうぶつのビスケットだって、違う型にはめこもうとしたら、壊れてしまうよ

アニメの不自然さ

自撮りはちょっと置いといて、アニメとかマンガの話なんですけど。

昔、ワタシは完全なるおたくだったので、映像作品見てたり、ラノベ読んだりしてた。だから世間のアニメというものが大体どんな感じかは把握しているよ。

最後に通して観たのは確か…まどマギかな!劇場版も映画館で観たよ!あとひぐらしのなく頃にも好き!
嘘喰いの映像化の話どうなったんですか?
そしてヒラコーさんは早くドリフターズの新刊をお願いします…

まあそれで、モノにはよるんですけど、大体のアニメとかラノベって、「若くてカワイイ子・キレイな子」ばっかり出てきません?w
それはそうで、魅力的じゃないキャラクターが出てたら、ちょっと盛り下がるからね…www

そして、人生のどこかで、それに気付いたときに、なんだか「作り物の不自然さ」を感じてしまった。
で、いきなり、アニメとかに興味がなくなった…w

「現実にはいろいろな人がいるのにこの世界(少なくとも主人公の周辺)には際立って魅力的な人しかいない」みたいな。
いやもちろん作品にもよりますよ。沈黙の艦隊はおじさんばかりだし。

あと、この気持ち悪さを顕著に感じるのは、最近よくアプリ内広告で流れてくるゲーム。「放置少女」「成り上がり」「エースアーチャー」あたり?もっとあるけど。
カワイイ・キレイな女の子ばっかり出てくる…w
これも、それはそうで、キャラが魅力的でないと、ゲームをプレイしてもらえないからね!制作会社もカワイイ女の子が描ける絵師さんにお願いするよね。

しかも「成り上がり」かな?中国の風景みたいなアプリ。キャラクターで「かわいくない子」が出来上がったら「やり直し」できるのwww
不美人の存在は全否定なのよ…

どうしてもそういった「作り物の世界」「不自然さ」を受け入れられない。ありえない世界は気持ち悪いと思ってしまう。

そういうのがあったから、「自分をかわいく加工するアプリ」が流行ってきたときに、変な感じがした。
現実を歪めているような。

不自然さその2

ついでに…前々から思ってたとこがあって…
「電車などで見かけるマンションの広告」なんですけど…

「暮らしのイメージイラスト」が描いてあるのを見たことがある。マンションの前にある広場の遠景で、そこには、ベビーカーを押してるママさん、風船を持って走ってる子供とかがいた。
でもそれも、「作り物の世界の不自然さ」を感じてしまった。

実際のところ、金ネックレスをしたヤンキーとか、松葉杖をついたケガしてる人とか、ものすごいセキしてる人とかが、そこにいるはずなんだ。
※あくまで「世間のイメージ」の話であって、それらの人の実質の善悪については別問題なのでツッコまないように…

でもそれでは「魅力的」でないから、あえて隠されている。
加工された、作り物の世界だった。

乖離していく「理想」

自撮りを盛る人は、「かわいくないと」「きれいじゃないと」みたいな強迫観念に苛まれていて大変だと思うんだけど、それを仮想的に解決してくれるのが魔法のような画像加工アプリw

アプリの力で一気に別人みたいに変身できて、ありがたいことはありがたい。

でも…

例えば、SNOWって、肌質をなめらかにしたり、シワを取ったり、髪の毛をサラッとさせたり、「若さ」の表現とかもしてくれる。

10代のコがSNOWを使うとして、無加工の状態の顔と、SNOWで盛った顔を比べても、あんまり「若さ」パラメータに違いは出ないと思う。
これが…わかります?盛る前と盛った後のビフォーアフターが、20代、30代、と、年齢が上になればなるほど、現実との乖離が深まっていく。

これが、ワタシが、コワイなと思うところで…
「顔面を否定する」だけじゃなくて「年齢を否定する」ことにもなる。自分を否定ばっかりすることになる。ツライ。

もちろんワタシだって老化はしたくない!
でもするんだし!!!しょうがないよそこは!!!
…って思ってるけど、完全に受け入れ切れてないところもあるw

受け入れられない理由

たぶん「空気を読んでいる」
日本人的なことなのかもしれない。

いや、知り合いとかで…男性アイドルさんの特典会(実際に会って握手とかできるタイプの)に行くにあたって…会場には10代・20代前半のコが多いので、結構年齢が上の人になると
「やっぱり若くてカワイイ子が来てくれたほうが嬉しいよね…」みたいな病み方をしている人が多いw

つまり、「自分が“自分の容姿・年齢”を気にしている」というよりは「世間とか相手から見た“自分の容姿・年齢”を気にしている」人が多いんじゃないかと。おもうんだ。

だって、世界に自分1人しかいなかったら、同じことに悩むだろうか?w

一度、「世間が見ている理想ってこういうものだろう」というフィルターを通して自分を見てしまう。
そうすると、もちろん世間の空気っていうのは、カワイイ子だったり、若い子だったりが賛美される世の中なので、「自分は不要なんじゃないか」と、なってしまう。

だから、「不要ではない」と認めるためには、「世間が見ている理想」に合わせないといけない。

そして

SNOWで盛る

おわり

若い子もね…影で気軽に「BBA(ババア)」って呼ぶのよくないよ…w

「若くないと」みたいな気持ちを持つ理由にはそういうのもあるんだろうな…年を取っているだけで排除されてしまうという恐怖。的な。

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